つれづれなる山に⭐︎熟年離婚50代

2022.3月(53歳の終わり)に離婚した私の素直な気持ちを綴ります。

老眼とマラソンと登山と離婚

40歳くらいから目が悪くなったと感じていたけど、そんなの序の口でした。


15年経った今、アウトドア以外では老眼鏡がないととても困るようになりました。


元々、ものすごく視力が良かったから悪くなったことに慣れないのかもしれません。


実はものすごく本を読む子供で大人になっても40歳くらいまでは、

読書をして寝落ちするのが何よりの幸せでした。


でも目が悪くなり、寝ながらメガネをかけて読むのも難しく、

ちょうどその頃陸上を始めた娘に便乗してマラソンを始めたのでした。


はじめは3kmくらいをゆるゆる走っていましたが、少しずつ距離が伸びていきました。


大会に出たらやる気が出るよと言われ、10kmの大会に出るようになり、

そのうち物足りなくなりフルマラソンの大会に10回くらい出場しました。

初めてのフルマラソンは生まれ育った町を走りたくて神戸マラソン。

それから東京マラソン、大阪マラソンと広がっていきました。


実家がなかった私にとって、大会に出ることは

数日の家事休暇をもらっているような感覚でした。


4時間切って走れるようになると‥‥

だんだん欲が出て、ウルトラマラソン(100km)にも出場。

山を走るトレイルランニングが性に合っていたようで、

大会では何度か表彰台にも立ちました。

トレランの練習で頻繁に登山をするようになったのも良くなかったんでしょうね。


そんなことをしてるうちに、だんだん夫婦の距離が開き、離婚に向かっていきました。


育児の時に、元旦那さんが協力的じゃなかったのがそもそもの隙間風の始まりですが。

この時期に育児協力をしてくれたのが、義理の両親だったのです。

この人たちがいなかったら頭がおかしくなっていたかもしれません。


そんなこんなで激しくスポーツをしすぎて、膝を痛め、

今はゆるゆると登山と散歩と時々ロードバイクなのです。


こうやって書いていくと、

老眼にならなければ家で幸せに暮らしていたのかもしれないな、なんて思ったり。


元々おてんばでしたが、小さな文字が追えなくなったので、外に出始めたのです。

遅かれ早かれ離婚はしたのかもしれません。


どこにターニングポイントがあるのか、ずいぶん経たないとわからないものですね。


今日も読んでくださってありがとうございま

した。

これは瀬戸内の低山に行った時の景色です。