つれづれなる山に⭐︎熟年離婚50代

2022.3月(53歳の終わり)に離婚した私の素直な気持ちを綴ります。

離婚前後のこと

2022年3月に離婚することが前々から決まっていたわけではありませんでした。


36歳から18年勤めた仕事は会計年度職員という、公的機関のいわば契約社員のようなもので、数年おきに試験を受けて再雇用されるような形。お給料は額面は12万円ほど。社会保険、厚生年金、雇用保険などで手取りは10万円そこそこでした。仕事はとても好きでした。

しかしこのお給料は、結婚していて旦那さんがメインで稼いでいるか、独身で実家暮らしなら生きていける額です。

一人で賃貸で暮らして行くには到底無理なお給料と言えます。


家を出るにもお金を貯めなきゃと、職場に認められるようになったのを機に週10時間だけダブルワークをしました。そこのお給料は、全て手をつけず貯金に回しました。一年半働きましたが身体的にキツかったです。


そんなわけで、離婚を話し合っていた53歳の私は、ひとつの仕事で、キチンと収入のある正社員で雇ってもらえるところを探さなければいけませんでした。


たまたまスポーツ仲間の経営する職場で辞める人がいて、人を探しているという声が聞こえてきました。その仕事は資格は要らないとはいえ、私の知らない専門的な世界でした。

念のため私でも務まるか聞いたところ、大丈夫!仕事は教えるから少しずつ覚えてもらえたらいいので是非来てほしい、と。


18年勤めた職場は、決して人間関係が悪いわけでも仕事に不満があったわけでもありませんでした。ただ私が離婚して一人で生きていくには収入が足りないだけでした。この年齢で正社員で雇ってもらえるのも最後のチャンスだとも思いました。

なので、清水の舞台から飛び降りる覚悟で転職を決めました。それが202112月末のことです。




2022年のお正月明け1月4日から、新しい職場です。

新しい仕事は想像していたよりも忙しく、目まぐるしく、覚えようにも次から次へと新しいことが舞い込んできて、おさらいをする時間もなく1日が過ぎていく感じでした。


仕事を終えて帰宅してもヘトヘトに疲れ果てて、ご飯も食べずお風呂に入ってすぐに寝る。という日々が始まりました。休みの日には仕事のノートを作ったり気が休まらませんでした。そのかわりお給料は手取りで18万円くらいありましたが、心から笑う事ができなくなっていきました。夜中に胃がキリキリと痛んで寝られない事も増えてきて、ある朝突然、涙が出て仕事に行けなくなりました。


大好きな山に行く気持ちになれないくらい、知らない間に精神的におかしくなっていました。こんなことは初めてです。山道具も捨ててしまおうかと思うほど。


急でしたが3月の頭に退職させてもらいました。そのままハローワークに行って仕事を探して。なんせ自立しなきゃ行けません。弱音吐いてる場合じゃないのに、自分の無力さに情けない状態でした。体重も7キロ落ちて、まさにボロボロ。


そんな最中、離婚届を提出したからと元旦那さんに言われました。え?急!


本当は家を出る予定でしたが、今のままでは家を借りることもできません。

折衷案としてこのままシェアハウスのように暮らすことになりました。月初めに元旦那さんに家賃(4万円)を払って、私は食事や生活用品の買い物をし、息子と交代で夕ごはんの支度をして、月末に生活費(だいたい2万円くらい)を請求するという少し変わった形態です。

(隣には義両親が住んでいます)


4月から勤め始めた職場は幸い良いところで、マイペースに事務仕事をさせてもらえています。お給料の手取りはボーナスなしで12万円弱です。


そして現在(2022.8月)に至ります。


息子のこと、娘のこと、義両親のことなど少しずつ書いていきたいと思いますので、よろしければ読んでくださいね。


長々と読んでいただいて、ありがとうございました。


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